2013年2月26日火曜日

☆「いただきます」が、ききたくて


ある日のこと。
友人家族と妻が食卓を囲んでいた時の話。
近所に住む2歳の女の子が妻にこう言ったらしい。
「あ、かおり おねーちゃん、いだたきます 言った?」
言っていなかった妻は少しバツが悪そうに、
「いただきます」と言ったという。

それを聞いて私「フフ」とほくそ笑んだ。

そしてその夜、妻に、
「しんたろうにーちゃん、いただきます 言った?」
と言われ、絶句した。
なぜなら言っていなかったからだ…

こんなことがあってから、私たちの家庭では、
どこででも、意識して祈りをささげ、「いただきます」と言ってから食すようになった。

ものの本によると、
「いただきます」と食物に感謝の言葉を述べる習慣は日本特有のもののようだ。
キリスト教やイスラム教は食前に祈りを捧げるが、
それは神への感謝である(当然、それは素晴らしいことである)。

日本においては、
農家は心を込めて野菜を育て、
漁師は獲れた魚に感謝し、奪った命には供養塔を建てて供養した。
それらの恵みを無駄にしないよう、調理する人は、大根の葉っぱ、魚のあらまで利用した。

そういう、心と心の連続性の中で、食の文化は培われてきた。
食べる人の心の姿勢も正し、
「いただきます」と、心でも食物を味わおう、と思う今日この頃である。

(青年会中央部 岡田 慎太郎)

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