ある日のこと。
友人家族と妻が食卓を囲んでいた時の話。
近所に住む2歳の女の子が妻にこう言ったらしい。
「あ、かおり おねーちゃん、いだたきます 言った?」
言っていなかった妻は少しバツが悪そうに、
「いただきます」と言ったという。
それを聞いて私「フフ」とほくそ笑んだ。
そしてその夜、妻に、
「しんたろうにーちゃん、いただきます 言った?」
と言われ、絶句した。
なぜなら言っていなかったからだ…
こんなことがあってから、私たちの家庭では、
どこででも、意識して祈りをささげ、「いただきます」と言ってから食すようになった。
ものの本によると、
「いただきます」と食物に感謝の言葉を述べる習慣は日本特有のもののようだ。
キリスト教やイスラム教は食前に祈りを捧げるが、
それは神への感謝である(当然、それは素晴らしいことである)。
日本においては、
農家は心を込めて野菜を育て、
漁師は獲れた魚に感謝し、奪った命には供養塔を建てて供養した。
それらの恵みを無駄にしないよう、調理する人は、大根の葉っぱ、魚のあらまで利用した。
そういう、心と心の連続性の中で、食の文化は培われてきた。
食べる人の心の姿勢も正し、
「いただきます」と、心でも食物を味わおう、と思う今日この頃である。
(青年会中央部 岡田 慎太郎)
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