2012年9月6日木曜日

☆いじめっ子・Dくんの変身


ある高校教師K先生の話。

D君という生徒は“いじめ”のボス的存在で、
同じクラスの生徒に対しメールで誹謗中傷を繰り返していました。

いじめが発覚すると、ほとんどの先生が
いじめた生徒たちを退学にすべきと主張しました。
しかし、K先生は「もう一度チャンスを与えたい」と毅然として譲らず、
生徒たちは無期停学に留まることになりました。

K先生には覚悟がありました。
“D君を必ず立ち直らせてみせる”と。

翌日から、D君や他のいじめを行った生徒への指導が始まりました。

K先生は生徒達に紙を渡し、同級生のいいところを書いてみなさいと
指導しました。しかし、生徒達は何も書くことができませんでした。

実はD君には異父兄弟がおり、
お父さんとD君は血がつながっていませんでした。
複雑な家庭環境の中で、
親からの愛情を十分に感じられなかったD君は、
その不満をいじめによって埋めようとしていたのです。

ある日K先生はD君に言いました。
「D、お前も辛かっただろう?」と。
K先生のその言葉に、D君は涙をこぼしながら、
心に溜めていた感情を吐露しました。

やがてD君は停学を解かれて学校に戻りました。
K先生の愛情と熱意に心を打たれたD君は、
いじめていた生徒とは思えないくらい、人を思いやることの
できる人格者へと育っていったのだそうです。

人には必ず
“愛されたい”とか“認められたい”という願いがあります。
人をいじめたり、他人の素晴らしさを素直に認められない人は、
本当は“認められたい”のかもしれません。
深くその人のことを知り、
心を満たしてあげられる言葉をなげかけてあげることで、
その人の人生は見違えるように輝きを帯びていくのでしょう。

人は“認められる”ことで、はじめて“人を認めることができる”のですね。

以上、先週末、宇治別格本山で開催された、
生長の家教育学会で聴いた良い話でした。

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